Adventure Blog – センス・オブ・ウォーター

「家の窓からは水面が見えてなければならない」
感性の鋭い友人が言った些細な言葉だったが、不意に記憶がよみがえった。
 
彼は多拠点生活を目指していて、その拠点一つとして海か湖が見える家を探していた。
自分の場合、不動産を探すときには周辺施設の利便性や日当たりなどは考慮に入れるものの、水面が見えることは条件にもあがらない。
物件サイトの絞り込み条件にも見たことがないから多くの人もそうだろう。だからその時は、夢があるね、と笑いながら流した。
 
友人のその言葉を思い出したのは、前回のブログを書いている時だ。人は夜に焚き火を求めているとした内容の記事で、アトモフの数ある風景の中から焚き火が人気順の上位に入っていることをその根拠とした。
しかし焚き火以外の上位の風景を見てみると、数点の焚き火以外は全て、海か湖か川か滝か、必ず水が含まれるという共通点に気づいた。30位くらいまで焚き火以外は水を含んだ風景になっている。なぜか水を含む風景ばかりが選ばれているのだ。


なぜそんなにも水のある風景が選ばれるのか?
 
進化の観点から考えると「りんごは甘いから好まれる」なのではなく「(栄養豊富である)りんごを甘く感じる人が生き残った」のだ。同様に、「水が映えて美しいからいい景色」なのではなく「(生存に欠かせない)水の見える場所を心地よく感じる人が生き残った」のではないだろうか。
 
日本の場合、どこの家でも水道がある。だから物理的には水は十分足りている。しかし、豊富な水という視覚への刺激が不足していたら精神的には満たされていない部分があるのかもしれない。
 
体だけじゃなく心も水を必要としている。
 
だから水のある風景が選ばれているんじゃないだろうか。ひょっとしたら庭の池や水槽という文化もその渇望と関係しているのかもしれない。
 
いつかの旅先で窓から見えた波間できらめく海面とその先の水平線の感動は鮮明だ。だけど、いま住んでいる家からは水面は見えないし庭に池もない。心の奥が渇いているかはよくわからない。心の奥まで向き合うことが足りてなさそうだ。友人の言葉は、そんな気づきともに思い起こされた。
 
アトモフウィンドウは水辺のある美しい風景を映すことで、水面が窓から見えない暮らしをしている人の心の奥を、ひっそりと潤しているのかもしれない。
(ハードウェア担当:杉山)